第67回 2016年01月29日 

 

古代日本の造船技術と航海術(高川博)

 

周囲を海に囲まれた日本列島の古代史を復元するためには船と航海に関する考察が欠かせないが、その前提として船の活動舞台である海そのものに関する十分な知識が必要である。

特に、日本列島は周囲を海流が取り巻き、地形が複雑なところから潮汐流の影響が大きく、気候が急変しやすいことから世界の海の中でも荒れ海として恐れられている。瀬戸内海は、波穏やかであり流れの速い潮汐流を利用でき最も安全な海域であるが、対馬海峡は、海流・潮汐流の中を渡海するという最も危険な海域である。

船は、丸木舟⇒単材準構造船⇒複材準構造船と発達して来たが、7世紀後半から新羅が半島西岸を制圧するに伴い大陸通交を妨げられた日本は、東シナ海を横断するルートを取らざるを得なかった。そのために大型の構造船(帆掛け船)を造ったが、堅牢さに欠け航海術も未発達であったために往来は難渋を極めた。

また、先進的文物や威信財の入り口としての対馬海峡をどのような勢力が抑えたか、という制海権について考察することは国家形成の問題に直結する。沖ノ島祭祀や磐井の乱は、このような問題を考える上で大きな示唆を与えてくれる。

海を結んでの交流(外交・交易)は漂流や難民流入とは区別すべきであり、定義づけを明確にすべきであろう。また海上運行という行為は最初からシステムとして捉えることも必要であろう。