第68回 2016年4月22日 

 

飢餓と戦争・鉄のビッグバン(著書『飢餓と戦争』 浅井壮一郎)

 

鉄の実用化はBC12世紀以降、加炭技術の開発により、ヒッタイト南西部キズワトナで褐鉄鉱を原料として始まる。BC12世紀には、ヒッタイト・キズワトナは海の民の襲来により滅び(従ってヒッタイトは鉄の王国ではない)、製鉄族が四散する。

東への移動先はアルプス・ヒマラヤ・環太平洋造山帯(マグマから磁鉄鉱ができる火山帯)で、鉄武器を始めて使用したアッシリア・インドであった。磁鉄鉱は水に溶けやすく、地下水に溶け上昇して地上の湖沼で酸化されて褐鉄鉱をつくる。特にBC9世紀の気候大変動で、多量の雨が降り、地下水が上昇し、各地に多くの湖沼と褐鉄鉱をつくったとされる。アッシリアの興隆はその直後だった。特にインドは20世紀まで、褐鉄鉱製鉄で、その加炭技術はウーツ鋼として、ダマスカスの剣・ブハーラーの剣としてアジアを席巻した。

鉄鉱資源分布図によれば、中央アジアには鉄資源はない。匈奴が漢に求めたのは鉄だった。漢代中国の鉄山数は約3600で、河南・山東等の黄河中・下流域に分布する。黄河の沖積平野の下には環太平洋造山帯が通り、所々に磁山・大冶・馬按山等の磁鉄鉱山が分布し、多くの湖沼に褐鉄鉱があった。褐鉄鉱は700度以下で溶融し製鉄可能。

一方、砂鉄は磁鉄鉱で1150度以上の高温でしか製鉄できない。砂鉄は砂中に数%しかなく、かんな流しという数キロの水路による浮遊選鉱を必要とする中世のタタラ製鉄の原料である。

以上から古代製鉄は褐鉄鉱を原料とし、その伝播は造山帯に沿ってなされた。