第73回 2017年7月4日 

 

難波宮「和歌木簡」の年代比定に対する疑義  (藤井游惟)

 

2006年、大阪難波宮跡で発掘された「皮留久佐乃 皮斯米之刀斯」と和歌の一部と思われる文章が書かれた木簡は7世紀中葉(650年)頃のものであり、この様な「万葉仮名表記法が始まったのは680年頃」という従来の定説を覆すものとして、センセーショナルに報道された。

しかし、この木簡を一般に言われる通り「ハルクサノ ハジメノトシ(春草の初めの年)」と読むとするならば、「皮」の字を「ハ」と読む、「斯」の字を「ジ」と濁音で読む、「年」の「ト」は上代特殊仮名遣いの乙類のはずなのに「刀」は甲類である、など、『記紀万葉』等の正格的な万葉仮名(借音仮名)の用法から外れた奇妙な用字をしていることになる。

このような奇妙な用字は、上代特殊仮名遣いが崩壊して行く700年代半ば以降に見られるもので、この難波宮木簡が最古の万葉仮名使用例という「定説」には疑問符がつく。

藤井氏の見解では、一字一音の借音仮名表記は663年の白村江敗戦後に日本に大量亡命して来た百済人の日朝バイリンガル二世世代が発明・普及したものであり、この二世世代が続々と文書実務に携わり始めるのが680年頃で、木簡作成量が爆発的に増えるのもその頃からであり、この仮説の正しさを裏付けている。