第76回 2018年5月11日 

 

古代ギリシャ・ローマの建築、そして東アジアへの道のり(鈴木浩史)

 

紀元前1世紀のローマの建築家であるウィトルウィウスの著書「建築十書」を紹介した。「建築十書」は現存する唯一の古代の建築書で、古代ギリシア・ローマの建築を知るうえで欠くことの出来ない資料である。中世の時代には忘れ去られていたが、ルネッサンスの時代に再び評価され、レオナルド・ダ・ヴィンチの人体図への応用はとくに有名である。ギリシアの神殿建築はドーリス・イオニア・コリントの様式が一般的で、各々の形には起源となる地域や民族の違いが表れている。古代ギリシアにおいての民族の移動や覇権争いの結果、これらの様式を選び建設している。またヘレニズム期には、マケドニアのアレクサンドロス大王の東方遠征により中央アジアにもギリシア的な文化が広がり、後にガンダーラの仏像にヘレニズムの影響が見られ事は興味深い。ローマの起源は、伝説の上ではトロイア戦争で負けた武将の末裔による建国とされているが、建築はエトルリアと言う先住民族のアーチ構造の技術とギリシアの建築様式を織り交ぜながら、コンクリートや焼成レンガなどの材料を開発して、コロッセオやパンテオンなどの大規模な建築を作り上げた。帝政時代のローマは、広大な領域支配の時代を迎えて、法律の整備や公共建築の適切な整備基準を定めて多くの植民都市の建設を実現した。この「建築十書」には、建物の柱の直径を基準として全体の姿を決めていく事が説明されているが、日本建築でも古くより「枝割り」と言う垂木の間隔を基準とし美しい姿を作る技術がある。建設当時の「基準の歩尺」との関係は今後の課題としたい。